甦るあの日
三浦和人2000.10.21
前田さんが台北を訪れたときのファーストインプレッションがこの写真群で、台湾全土が選挙一色に塗りつぶされていた時期に重なり、すでに5年ほどが経過している。
少し旧くなったが台北の臭いや音が選挙とともに熱風となって伝わってくるのか、あるいは海外旅行の記念写真を見せられた時の気怠さを味わうのか、半信半疑で写真を見始めた私は、すぐさま意識の変更を余儀なくされ、なぜだか分からないがそのどちらでもない写真に心がゆさぶられていた。これらの写真が時を経てなぜいま、彼の心の中に必然のこととして沸き上がり、まとまってきたのだろうと思いを廻らしていた。
私たちが「写真」と言うとき、どこからどこまでを指し示すのか、<写真とは……>というきまりがあるのだろうか。一般的に戦争写真や報道写真、広告写真、建築写真、芸術写真、ヌード写真等々……「何々写真」と呼ばれ、さらにブロ、アマといったことまでもキメ細かく分類されているのが現実であり常識となっている。すると一体彼の写真は何と呼ばれ分類されるのだろうか。「現実」と「常識」との二つの枠によってすべての考え方が規制されそこから抜けだせないのか、それとももっと本質的なところで写真をアプローチする手だてがあるのか。
その辺りを考えているうちに、優れた写真を発表しつづけている高梨豊さんの著書「われらの獲物は一滴の光」の中に『写真は二度見ることである---まず現実を見て写し、さらに写してしまった第二の現実(写真)をもう一度見る。写し手の「思想」が間われるのはこの時である。ただカメラを向けることで、全自動に露出を任せた写し手は、第一を通過し第二の現実だけを急ぐのである。』という写し手の意識の在り方を間うている一節に出会った。
もうひとつ、「写真ノート」大辻清司著の中に『……「写真は見ればわかる」と思い込んでいることにあると思う。……たしかに写真も映画やテレビも、見れば何が写っているのかわかる。まず嬰児の目に映る生まれてはじめての像と同じように、風景のことごとくは見えるはずである。だが見るというのはそれだけで終わるのではなく、その情報をもとにして大脳の作用が加わったとき、はじめて物事は「見えてくる」。嬰児は「見える」ものと「見えてくる」ものとの間に学習の過程があって、はじめて「見える」ものの意味を理解する。そうした繰り返しの後、「見える」ものは「わかる」ものとして目に映じる。こうした大変な作業が幼い子供たちの生活の大部分を占めながら成長してゆく。……「見える」事物の「意味」はすでに知っているのだから、「見える」写真に、それ以上何を付け加える必要があるのか、というのが「写真は見ればわかる」主義の言い分だろう。……そのことは言葉は自然に覚えるものであるというのに似ている。……写真もほうっておいても十分読めるようになる、というわけである。しかし読み、書き、そろばん、というように、……なお言語は学ばねばならない。言語を操作する専門家、つまり文筆家や俳優を目指すのでなくとも、なおしきりに学び訓練することが必要とされているのである。自然にほうっておいても十分なのだ、とはされていない。……「見える」ことについても同じなのである。……ここに取り上げた写真はマン・レイの作品だが、これはリンゴだとすぐにわかる。少し変わっているのはへたの代わりに木ネジが置いであることで、これも見ればすぐにわかる。だがこれだけでこの写真がわかったと、とてもいえないことはだれしも納得されるだろう。写真全体から受け取るメッセージは、写っている現実から遠く離れた異質のイメージのはずである。ところがストレートな写真では、見えた事物のみを了解した内容として終わってしまう。ストレートな写真でも同じように、伝えたい内容は読み取られることを待っているのである。』という写真とは一体どういうものなのか、その考え方のヒントを与えてくれる一節。
この二つの文章はそれぞれの本からの引用なのでお二人の意図と多少ズレることがあるかもしれないが、彼の写真(あるいは写真一般)を考えるうえでとても示唆に富んでいると思う。
始めて台湾に行き、そこで見るもの聞くもの全てが日本に居るときとちがい、彼の内鏡にこだまし気持が突き動かされ、自分をかり立てるものが何かわからないまま、無我夢中で歩きまわりシャッターを切り、あっというまに三日間が過ぎてしまった。後髪を引かれる思いで帰路につき、時間をつくってはフィルム現像をし、その度ごとに台北での三日間のことが昨日のことのように思い起こされ、コンタクトを見る日々が続いていた。しかしそこに写った映像からは、どうしたことかあのとき自分をかリ立てた説明のできない熱い気特が鳴りを静めている……、期待が大きかっただけに失望の色が濃くなり、あぁ、台北でのあの気配はやっぱり写っていなかったと落胆きせられ、次第に日々の生活の忙しさのなかで意識が薄れていき二年、三年と過ぎていった。その間に写真を通して十人前後の好ましい仲間ができ、その一員としてパリとその周辺のまちや人々を撮ったユジェーヌ・アジェ、f64グルーブのエドワード・ウエストン、アンセル・アダムスそしてウォーカー・エバンス、ロバート・フランク、ウィリアム・クライン、“社会的風景に向かって”のコンテンポラリー・フォトグラファーズの五人の写真家らの写真集を見ることを積み重ねて、写真に対する意識、解釈が徐々に変わりつつあることを感じていた。そんなある日、写真を整理していると数年前の台北のコンタクトがでてきて、ちょっと不思議な感覚が背筋をとおりぬけ、無理のないスタンスを保ってコンタクトに吸い寄せられていった。そう、あたかも台北の街をカメラ片手に歩いているように……何時間コンタクトを見ていたのだろう、いやシャッターを切っていたのだろう。
こんな経験をくり返すうちに、自分は台北という都市を説明しようとして、写真をセレクトしていたのではないかと気づいた。台北をいくら説明したとしても台北は客観的な存在だから、どんなに説明しなおしたとしても、台北自身はなにも変わらない。新しい切り口を見い出すのは困難だろう。しかし台北と自分との関係を解釈しなおしたとしたら、この間に親しい変化が起ってきて、いままで見えなかった物事が見えるようになり、新しい発見があり、「自分が」見た、感じたという主語を伴って台北の姿が新しく現われてこないだろうかと考えるようになっていった、と彼の写真から伝わってくるようだ。
これが彼の意識と同じとは思わないが、あながし間遠いともいえないだろう。このこと自体が写真の奥行きの深さであり拡がりではないかと感じている。
長い時間をかけて前田さんは「自分の眼差し」を手にいれようとしていたのだろうと想像する。こういった経験をくり返して、写真への深い理解を手に入れていくのだと思う。
文にサインをしてくれている三浦さん 戻る